2.今ではセーヌ川のパリは美しい街並みの象徴ですが、19世紀前半の巴里は下水道設備で悪臭から少しは解放されつつあり、民衆は貧しい生活に不満を抱いていました。そんな不穏な時代を活写したのがユゴーの小説であり、ジャン・バルジャンが司祭の赦しを得て、民衆のために人生を送る転機を迎え、それが革命の時代に重なります。
3.なぜ、これほど『レ・ミゼラブル』が現代市民の心を捉えるのでしょう。「憲法記念日」の5月3日に発行された『鐘撞き人』でユゴーが平和理念を演説した場面を引用しました。実は『ローマの休日』でも欧州統合(現在の欧州連合EU)のことが話題になっています。それほどフランス革命の「自由・平等・友愛」は不滅なのです。
4.「フランス、イギリス、プロイセン(当時のドイツ)、オーストリア、スペイン、イタリア、ロシアに告ぐ。いつか諸君が武器を捨て、個性を失うことなく欧州の一体化を実現する日が来るだろう。いつかアメリカ合衆国と欧州合衆国が大西洋を越えて手を取り合う日が来るだろう」と1849年8月、パリ開催の第二回国際平和会議で告ぐ。
5.ここで一番忘れてはならないのは「個性を失うことなく欧州の一体化」です。ヨーロッパの各国は歴史的な伝統文化と価値観があります。それを壊してまで、一体化を望んではいないことの証です。今、日本に起きていることは、真逆です。「個性を失くして日本の一体化」をすることを画策しています。<個人の尊厳>を葬り去る。
6.つまり、平和憲法の「国民主権と基本的人権」を権力者が都合いいように改悪することが、公然と語られていることです。それが各地で吹き荒れている「ヘイトスピーチ」です。ある外国人記者が「米国社会には差別やヘイトスピーチが存在したが、日本にはなかった。10年前にはあり得なかった」と危惧します。それほど異状です。
7.東大阪の司馬遼太郎記念館へは鶴橋駅で乗り換えます。在日コリアンが多く住む鶴橋で14歳の女子中学生が「鶴橋大虐殺を実行しますよ」と発言したことが象徴的です。「ヘイトスピーチ」HSには「ハイ・ストレス」HSがあります。「いじめ」の背景には必ず、高いストレスがあり、人種差別にも≪無関心≫の中に隠されています。
2013(平成25)年7月14日「巴里祭」の日に
