キャロライン・ケネディ氏が軽やかに爽やかに新駐日大使として東京の地を踏みしめた。来日後の11月16日はメディアの各紙が一面トップで報じた。ちょうど半世紀前の11月22日には父のジョン・F・ケネディ大統領は ダラスで暗殺された。あの時の衝撃は日米初の衛星放送で伝えられた。これも<歴史の因縁>が感じられる。
★つい2日前に、このような書き出しで、日本の政治状況を切り出した。昨夜は11・21「特定秘密保護法案・廃案1万人集会」が日比谷野外音楽堂で開催された。
集会後には午後8時過ぎから銀座と国会コースに分かれて、まるでヘビのようにつながりデモ参加者として感動しつつ、口々にシュプレヒコール「絶対反対」を繰り返した。
★国会コースで平常は10分足らずだが、この日は交差点などでたびたび規制があり、右手に国会議事堂を目にするまで1時間ほどかかった。ある若い女性は「フランスだったら、こんな整然とデモしないわね」と友だちに呟いていた。
何事も規律を守る日本人のすばらしさを実感しながらの請願デモで、なぜ「秘密保護法」が必要なのか。
★主催者5団体の幟の旗がそれぞれ秋の風に翻る風景は心地いい。たまたま「アジア、アフリカ、ラテンアメリカAALA-JAPAN連帯委員会」の旗を横目に見ながら、チェ・ゲバラの『子どもたちへの最後の手紙』(65)で「世界のどこかで誰かが不正の目にあっているとき、いたみを感じるようになりなさい」を思い出す。
★その時に経済産業省前の交差点で「経産省前テントひろばニュース」第14号を受け取った。
「即時原発ゼロ!再稼働反対」の横見出し下には「福島の子どもたちをめぐる現状」があった。公表された数値は“氷山の一角”と報道関係者は著し、「甲状腺がんが原発事故とは無関係である」との報告は、やはり憤りを感じる内容だった。
★ここで「秘密保護法案」の恐ろしさが実感できた。交差点でデモが停止する瞬間に狙いを定めて、必ずマスクをした公安警察署員の二人が旗やプラカードを掲げる人々を中心に、こまめに撮影していたことだ。つまり、デモ参加者の一人ひとりの秘密名簿が作成され、逐次チェックされる体制づくりが構築され、完全に法制化されるのだ。
★キャロライン・ケネディ駐日大使が、東日本大震災の被災地に来週訪れる予定だ。
「多くの苦難に直面しても、くじけずに頑張った被災者の姿は世界を鼓舞した。米政府として、引き続き必要な協力は何でもする」と表明。「整然とデモ」する冷静な日本国民と違い、日本の権力者は秘密時に「猪突猛進」するのでブレーキ役をお願い!
★『鐘撞き人』で1931年に時代設定された重大な理由がある。昭和8年は日米における「暗殺の歴史」のスタートにあたるからだ。その中でも1863年のリンカーン奴隷解放宣言から、ちょうど100周年の1963年11月22日ケネディ氏は暗殺された。
その50年後にキャロライン・ケネディが駐日大使に赴任された。期待したい。
2013(平成25)年11月22日
「ケネディ暗殺」の日に
2013年11月23日
「ケネディ暗殺の日」に思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(12)
posted by 岳重人 at 18:47| Comment(339)
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