2013年12月17日

「真珠湾攻撃」の日に思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(20)

特定秘密保護法案をゴリ押し可決した安倍首相のポスターにあるスローガン「日本を、取り戻す。」は「人権指令」以前に戻す。戦前の思想統制と弾圧する機関を解散・解体されたが、「人権指令」の正式名「政治的・市民的及び宗教的自由制限の撤廃に関する覚書」を完全に葬り去り、「秘密・軍事国家」の道を再び復活させる。

★72年前の今日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった。そんな悪夢を再来させるような特定秘密保護法が6日23時22分に参議院でも可決成立した。「大本営」発表による「ウソ」に塗れた情報、戦前と同じ国家統制があらゆる場面で第一歩のレールが敷かれた。もの言えぬ監視社会・国家がクモの巣のように隅々まで張り巡らされる。

★まさに「ファイナル・カウントダウン」の分岐点だ。この法律を廃棄する運動を、日本国憲法第99条<憲法尊重擁護の義務>「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を守らせ、第21条<表現の自由>の国民主権・基本的人権のデモがテロ活動なんて社会を拒否する。

★原子力発電に関しても特定秘密保護法の網が張られ、国民の目には見えなくなる。
ドン・テイラー監督『ファイナル・カウントダウン』(80アメリカ)はカーク・ダグラス主演の秀逸なアイディアで最後のオチまで楽しめるSF映画だった。最新型原子力空母ニミッツ号が航行中に、突然、日本軍の真珠湾攻撃直前にワープしてしまう……。

★ゼロ戦パイロットの原田要氏が「あの人に迫る」(東京新聞12月8日付)でインタビューで語っている。「真珠湾では上空援護が任務でしたから敵機とは対戦しなかった。ほかの飛行隊員たちが鼻高々に武勇伝を話すのを聞き、悔しかったですよ。ところが真珠湾に米軍の空母がいなかったことを知って……」と、戦争の末路を予知する。

★「一下士官の私でも、航空隊の実力は十分わかっていたから『これはいずれ出て来る。将来が怖いな』」といい、「私は19機撃墜しましたが、小隊長として敵機にとどめを刺す役割でした。『参った』と逃げる相手を落とす。その瞬間は『自分は生き残った』という安心感があって、次に自分の腕に対する優越感です」と、誇りを示す。

★「ゼロ戦の20ミリ機関砲は両翼にそれぞれ弾丸が60発しかなく、確実に当てるために敵機すれすれまで接近します。相手パイロットの表情がはっきり分かる」「それはさーと頭の中を横切るだけで、後は『死にたくなかっただろう。家族があっただろう』という相手に対する気持ちをいまだに引きずっています」と、心の痛みが襲う。

★コックピットが火だるまになり、私の方を向いてうらめしそうな顔をする。今でも忘れられません。
人から『敵機を撃墜した時は気持ちいいでしょう』と言われることもあるが、とんでもないことです」と、空中戦の実相は「私にとって、ゼロ戦パイロットだったことは幸福であり、また不幸なことでした」に胸が締め付けられる。(岳 重人)


2013(平成25)年12月8日
「真珠湾攻撃」の日に
posted by 岳重人 at 17:47| Comment(0) | 日記

「映画法の検閲」に年齢制限を思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(19)

少し歴史を振り返ってみよう。1939年10月1日「映画法」制定の2年前に、第74回帝国議会で空前の大ヒット作『オーケストラの少女』論争があった。映画法案の審議の際、野口喜一代議士が非難攻撃した。「外画専門館には必ず国策映画を併合上映せしめ、二本立興行にすることが絶対に必要だ」と、当時の外国映画への偏見が表れていた。

★<東北再生スケッチ>三部作『舟曳き人』第U部<核と未来>篇でも、当時の「映画法」の時代背景とその国家統制を検証している。その一部を以下に引用してみる。
「1938年4月1日、国家総動員法公布で戦時体制が完全に整い、憲兵隊が目を光らせます。1939年10月1日には『映画法』が施行」され、戦時体制と共同歩調になる。

★「強力な検閲制度の下に、愛国心発揚と国策遂行のための国民思想を操る手段として完璧な統制下に置き、戦争映画が量産。大衆の好戦的な感情に拍車がかけられる。
ドイツ『映画法』が手本で33か条の「検閲」はドイツ語Zensurだが「検査」Prüfungと婉曲的に謳い、原案・脚本「事前検閲」と公開可否の「映画検閲」と手厳しい」

★「1939年、亀井文夫監督『戦ふ兵隊』を(肉弾少将の)桜井忠温氏が東宝試写室で見て、亀井監督に「素晴らしい」という激励の声を送っています。しかし『戦ふ兵隊』は公開禁止となり、監督は治安維持法の違反容疑で逮捕投獄されます。つまり、国威発揚の映画しか許さないプロパガンダ(統制教化)が達成されます。」と、指摘した。

★具体的に、洋画ファンにとって許せない検閲が、どのようなものであったかを、当時[1937・38(昭和12・13)年]の『フィルム検閲時報』から、5本の名作を観よう。
1937年3月封切のジャック・フェデー監督『女だけの都』(35スランス)はベネチア国際映画祭で監督賞受賞したが、17か所につき合計157mも切り取られた。続いて同年4月封切のジュリアン・デュヴィヴィエ監督『我等の仲間』(36フランス)はジャン・ギャバン主演。仲間で買った宝くじが当たり、その賞金で居酒屋<我等の仲間>を共同経営しようとする男たちの夢を描いたが、4か所で41.5mもカットされた。11月公開のパール・バック原作の『大地』(37アメリカ)では7か所、123m削除。

★1938年6月封切のジュリアン・デュヴィヴィエ監督『舞踏会の手帖』(37年アメリカ)はフランソワーズ・ロゼーはか当時の名優が総出演の名作。6か所で20m切除だった。最も酷かったのは、同年5月封切のマルセル・カルネ監督デビュー作『ジェニィの家』(36フランス)。申請フィルムの14%切除、25か所で実に371.5mと切り刻まれた。

★ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の2作品『我等の仲間』『舞踏会の手帖』。そして当時の人気女優フランソワーズ・ロゼーの3作品『女だけの都』『舞踏会の手帖』『ジェニィの家』が狙い撃ちされた。アカデミー賞作品賞で15歳のディアナ・ダービン主演の音楽映画の名作『オーケストラの少女』(37アメリカ)ですら、餌食になった。(岳 重人)


2013(平成25)年12月5日16時10分
「参議院特別委員会・強行可決」の日に
posted by 岳重人 at 16:10| Comment(0) | 日記