特攻隊の生みの親である大西龍治郎海軍中将は、10月20日午前に特攻隊員24名を前に直接訓辞をした。聞いているのは、関大尉を右先頭にして敷島、大和、朝日、山桜の隊員たちだった。まさに本居宣長の和歌から順番に特攻隊を編成したのだった。「然り、桜は古来わが国民の愛した花であって、わが国民の象徴であった」と続く。
★ある特攻隊員は1月8日(月)天候晴の『日記』に綴る。「午前飛行演習。大空高く大満州の広野と取り組む時、我等の心中に沸々として湧き出づるものあり。征く所苦あり、然してまた楽あり。征服の如何はまたその人の努力如何に在り、人物の大量如何に在り」と、熊本から大満州の訓練飛行場を移って初めて正月を迎えた若者だ。
★「諸人と共に鍛えし此の腕、共に砕けて共に礎かん」と歌い込む。この句から日系部隊のスローガン“当たって砕けろ!”を思い出す。「け」計器信ぜよ過信すな、「ふ」不時の際には金玉握れ、「こ」故障の時は唾を呑め、「え」得手に帆を上げる注意と準備、「て」点検一つで生命捨てる、「あ」明るい心清い操縦、と『操縦訓』は役立つ。
★そして1か月後の2月7日(水)天候小雪には「本日特別攻撃隊の盛大なる送別会施行さる。隊員として出撃する勇士の心中や実に察するに余りあり。不肖第二次特攻隊に必ずや真先に参加せん。征くぞ我れも待って居て呉れ、続くぞ。斯かる時さこそ命の惜しからめ 豫てなき身の我が身を思ひ知らずば 「断行」好機を失する勿れ」
★1939年、マッキンレー高校のダン井上は英語を学び、放課後はマカレー日本語学校で日本語を勉強。その担当教師は仏教の開教使で、「八紘一宇」を語り、日系二世・三世も日本人の血で話しがたまたま宗教論になり、日本の国家神道を称揚し、さらに非常識にもキリスト教の聖書を愚弄し嘲った。思わず怒りに燃えたダンが立ちあがった。
★2年後、エッセイ・コンテストの全ハワイで一等となり、全米コンテストでも等外佳作に輝く生徒だ。「先生、言葉が過ぎはしませんか。僕はキリスト教徒です、級友にも教徒がいます。僕は先生の信じる宗教をかれこれ申しません。だから先生も僕らの信じる……」「きさま何をいうか」と、日本語教師は語気強くダンに迫った。
★「僕は黙っておれません、いったい先生にどんな権利があって……」と、負けていない。「きさまは日本人じゃないのか」という非難に、きっぱりとダンは「僕はアメリカ人です」と自分のアイデンティティを切り返した。教師の立場を忘れさせたらしく、ダン井上に近づくとその首をしっかりと押さえて前後にゆすぶった。
★「きさまは日本人だ。日本人ですと言え!」となおも首を絞めにかかった。だがダンは屈しなかった。息も絶え絶え、途切れ途切れに「ぼ、ぼくはアメリカ人です」かすかながらも繰り返した。教師は口答えする生徒を許しておいてはしめしがつかないと、井上を吊し上げるとドアから庭に突き落とした。「八紘一宇」の姿が見える。(岳 重人)
2014(平成26)年1月8日
「旧針供養」の日に
2014年01月14日
「ある特攻隊・八紘一宇」に想う……『鐘撞き人』からのメッセージ(31)
posted by 岳重人 at 19:33| Comment(0)
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