2014年01月24日

「日系人への謝罪状」に想う……『国護り人』からのメッセージ(37)

1990年10月『日系人への謝罪状』にJ・ブッシュ米大統領が「…私たちははっきりと正義の立場に立った上で…損害賠償と心からの謝罪を申し出る法律の制定で、米国人は…自由と平等主義という理想に対する伝統的な責任を新たにしました。みなさんのご家族に幸あれ」と署名宣言した。さらに『謝罪状』の前段部も引用しよう。

★「金額や言葉だけで失われた年月を取り戻し、痛みを伴う記憶をいやすことはできません。また、不正を修正し、個人の権利を支持しようというわが国の決心を十分に伝えることもできません。私たちは過去の過ちを完全に正すことはできません。しかし、私たちははっきりと正義の立場に立った上で」と不完全ながらも結論に導く。

★「第二次世界大戦中に重大な不正義が日系米国人に対して行われたことを認めることができます」の後段に、損害賠償と心からの謝罪が行われる。そもそも強制的な転住収容は「法の正当な手続きなしに生命、自由、財産を奪われない」という合衆国憲法の規定に違反するものだった。それでも日系人だけに大統領行政命令が適用された。

★戦後、日系人は旧来の土地に戻り、全米日系市民協会を中心に、戦時中の処遇に関する名誉回復に取り組んだ。その結果、1988年、議会は収容に対する謝罪と保証金の支払いなどを定めた「市民的自由法案」を可決し、冒頭の『謝罪状』の宣言後の1990年から1人あたり2万ドルの補償金の支払いが始められた。戦後45年になる。

★1943年、北部イタリア戦線で戦死した第442連隊所属のジョージ沢田軍曹の父親宛ての手紙が、27年後の1970年の招魂祭当日のアドバタイザー紙に掲載された。「…ヒロが徴兵で入隊し、間もなく12月のだまし打ち事件がおきて、日本と米国の板ばさみになってお父さんは苦しみました」。真珠湾攻撃が全米日系人を苦しめた。

★「翌(1942)年の春草々、私共はリロケーション(転住)センターに収容されました。弟は軍隊に入り、自分らは市民権があるというのに、抑留されるわけが理解できませんでした。同じ米国の敵ドイツ人やイタリア人のエーリアンがそのままでいるというのに……」。ジョージ沢田軍曹は「なぜ日系人だけが仕打ちを受けるのか」と問う。

★「“世の中には大多数の者の幸福のためにある一部の者が犠牲にされることがあるものだ”と諭して下さったお父さん。…日系二世志願兵募集が発表されると、私は躊躇することなく志願しました。国家に対する信頼、忠誠心が私にそうさせたのです。いま、軍用列車が私を遠くお父さんのそばから引き離そうと走っています……」

★生き残ったダニエル・イノウエ上院議員たちが「ハワイを真の民主主義の国にするために政治家になろう」と一念発起して、人民のための法律を提出できる力を持った結果が『謝罪状』は宣言され、事前に日系人に対する損害補償の法案を可決したのだ。日本の政治家にも問われるのは、このことだ。戦後補償の法案を出すべきなのに。(岳 重人)


2014(平成26)年1月14日
「年越し」の日に
posted by 岳重人 at 18:19| Comment(0) | 日記