11月1日(火)に偶然にも愛と性に関した二本の洋画を観た。一本はFOXサーチライト20周年記念の第一弾ベン・リューイン監督『THE SESSIONS(セッションズ)』で、もう一本はフランソワ・オゾン監督『17歳』だ。アメリカとフランスの両国の映画作家たちが「人間にとっての愛と性」をこれほどまでに丁寧に描き切った作品を高く評価したい。
★『THE SESSIONS』はマーク・オブライエンのレポート「On Seeing a Sex Surrogate」をもとに障がい者の<愛と性>―語ることすらタブーの世界を描いた。原作の“Surrogate”がキーワードだ。“a surrogate mother”は「代理母」でわかるように劇中でヘレン・ハント演じるシェリルが「代理妻」のmake loveを果たす。
★『17歳』は授業でランボーの詩を朗読する普通の女子高生イザベルが「なぜ売春に走るのか」、それぞれモデル出身の新星マリーヌ・ヴィクトが<内なる謎>を妖しく演じている。初めての<夏>、秘密の<秋>、そして自分探しの<冬>と四季折々に思春期のナイーヴさが繊細に切り取られる。売春の不道徳さではなく若く美しい姿だ。
★はなはだ承服しがたいことがある。両作品はともに年齢制限[R-18+]にされていることだ。区分には4種あり、[G]=全年齢が鑑賞可、[PG12]=12歳未満には保護者の助言・指導が必要、[R15+]=15歳以上が鑑賞可、そして[R18+]=18歳以上が鑑賞可とレイティングされている。思春期の若者たちにこそ観せたいテーマなのに……。
★マーク(ジョン・ホークス)がポリオに感染する前の元気な少年だった時代を思い起こす重要シーンがある。シェリルのイメージトレーニングによって、マークは奮い立つわけだ。一方、イザベルには弟のヴィクトルがいて、彼女の成長がそのまま投影されている。まるで、代理妻も姉弟は≪合わせ鏡≫のように共鳴し合っているのだ。
★「障がい者の権利に関する条約」(’07年9月署名)という国際条約の第25条(健康)には、「差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有する……。障がい者がジェンダーに配慮した保健サービス(機能回復訓練を含む)を利用できる……」とある。この観点から検討すると、2009年以降で明らかに「映倫」は誤りを犯している。
★「ナチスに学べば」を思い起こす。既存の「芸術的・民族教育的・文化的に価値あり」に1933年6月、ナチスの宣伝相ゲッペルスは「特に価値あり」、「国家政治的に価値あり」そして「国家政治的に特に価値あり」を加える。このようなランク付けが行われ、国家の価値基準が4段階で差別化が図られ、プロパガンダ映画のみになる。
★1939年10月1日、日本の戦時下に「映画法」が設立されて内務省の検閲官による検閲が行われた。日本国憲法第21条の第二項に「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とあるのは、あの時代を反省したためだ。両作品とも[R18+]を解消し、保護者の助言・指導のある[PG12]が妥当だと思われる。
2013(平成25)年11月21日
「特定秘密保護法案・廃案1万人集会の国会請願デモ」の日に
2013年11月22日
「年齢レイティング」に思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(11)
posted by 岳重人 at 22:36| Comment(0)
| 日記
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