2013年12月17日

「映画法の検閲」に年齢制限を思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(19)

少し歴史を振り返ってみよう。1939年10月1日「映画法」制定の2年前に、第74回帝国議会で空前の大ヒット作『オーケストラの少女』論争があった。映画法案の審議の際、野口喜一代議士が非難攻撃した。「外画専門館には必ず国策映画を併合上映せしめ、二本立興行にすることが絶対に必要だ」と、当時の外国映画への偏見が表れていた。

★<東北再生スケッチ>三部作『舟曳き人』第U部<核と未来>篇でも、当時の「映画法」の時代背景とその国家統制を検証している。その一部を以下に引用してみる。
「1938年4月1日、国家総動員法公布で戦時体制が完全に整い、憲兵隊が目を光らせます。1939年10月1日には『映画法』が施行」され、戦時体制と共同歩調になる。

★「強力な検閲制度の下に、愛国心発揚と国策遂行のための国民思想を操る手段として完璧な統制下に置き、戦争映画が量産。大衆の好戦的な感情に拍車がかけられる。
ドイツ『映画法』が手本で33か条の「検閲」はドイツ語Zensurだが「検査」Prüfungと婉曲的に謳い、原案・脚本「事前検閲」と公開可否の「映画検閲」と手厳しい」

★「1939年、亀井文夫監督『戦ふ兵隊』を(肉弾少将の)桜井忠温氏が東宝試写室で見て、亀井監督に「素晴らしい」という激励の声を送っています。しかし『戦ふ兵隊』は公開禁止となり、監督は治安維持法の違反容疑で逮捕投獄されます。つまり、国威発揚の映画しか許さないプロパガンダ(統制教化)が達成されます。」と、指摘した。

★具体的に、洋画ファンにとって許せない検閲が、どのようなものであったかを、当時[1937・38(昭和12・13)年]の『フィルム検閲時報』から、5本の名作を観よう。
1937年3月封切のジャック・フェデー監督『女だけの都』(35スランス)はベネチア国際映画祭で監督賞受賞したが、17か所につき合計157mも切り取られた。続いて同年4月封切のジュリアン・デュヴィヴィエ監督『我等の仲間』(36フランス)はジャン・ギャバン主演。仲間で買った宝くじが当たり、その賞金で居酒屋<我等の仲間>を共同経営しようとする男たちの夢を描いたが、4か所で41.5mもカットされた。11月公開のパール・バック原作の『大地』(37アメリカ)では7か所、123m削除。

★1938年6月封切のジュリアン・デュヴィヴィエ監督『舞踏会の手帖』(37年アメリカ)はフランソワーズ・ロゼーはか当時の名優が総出演の名作。6か所で20m切除だった。最も酷かったのは、同年5月封切のマルセル・カルネ監督デビュー作『ジェニィの家』(36フランス)。申請フィルムの14%切除、25か所で実に371.5mと切り刻まれた。

★ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の2作品『我等の仲間』『舞踏会の手帖』。そして当時の人気女優フランソワーズ・ロゼーの3作品『女だけの都』『舞踏会の手帖』『ジェニィの家』が狙い撃ちされた。アカデミー賞作品賞で15歳のディアナ・ダービン主演の音楽映画の名作『オーケストラの少女』(37アメリカ)ですら、餌食になった。(岳 重人)


2013(平成25)年12月5日16時10分
「参議院特別委員会・強行可決」の日に
posted by 岳重人 at 16:10| Comment(0) | 日記
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