2013年12月31日

「天皇誕生日80年」に思う……『鐘撞き人』からのメッセージ(26)

作家の半藤一利さんが「国家の明日というのは不思議なもので、その時代に生きる人は案外わからないものなんですよ。これからは集団的自衛権の拡大解釈、そしてその先には憲法改正の動きが待っているのでしょう。しかし、そうならないように頑張るしかない」(『朝日』12月18日付)とインタビューで決意を語る。
共に連帯しよう。

★天皇陛下が傘寿(80歳を迎えられ、記者会見の<お言葉>に四半世紀の在位のご苦労が痛いほど伝わってくるものでした。「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事は、先の戦争のことです。私が学齢(6歳)に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から」太平洋戦争への暴走を解雇された。

★「中国のほかに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました」と、日本の軍隊が中国から南下していく過程で各国と全面戦争に巻き込まれていく状況を順次語られておられる歴史認識の確かさに、敬服せざるをえません。「終戦を迎えたのは小学校の最後の年(11歳)でした」と、一番多感な思春期を戦争の日々が重くのしかかる。

★「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と、その痛切な思いを心に込めて追悼されておられる姿に陛下の慈愛の深さを感じました。銃後の生活で家族も離れ離れになった国民の目線で語られる。

★「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と、いかに日本国憲法を守ることこそが、日本人一人ひとりの責任だと進むべき決意を前にして、改めて天皇陛下を無視した憲法改悪の道を暴走する現政権に憤りを感じる。

★「戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と、あくまでも謙虚で常に感謝の気持ちを考えると、幼稚さと驕り高ぶる政治家たちよ!陛下の<お言葉>を心得よ。

★今から約10年前の2004年10月28日の秋の園遊会を思い出す。当時、東京都の米長教育委員が「東京都では日の丸・君が代を学校で周知徹底しています」と陛下に声をかけたところ、陛下は「(国旗・国歌について)強制でないことが望ましいですね」という<お言葉>で教育委員にやんわりと「説得より納得」を助言されたことだ。

★また四半世紀前の1989年1月9日、即位後朝見の儀で「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国連の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」と結ばれた。『成長福祉経済』から軍事経済』へ突進し「アメリカによる日本国憲法だ」と揶揄する政府は猛省すべきだ。(岳 重人)


2013(平成25)年12月23日
「天皇誕生日80年」の日に
posted by 岳重人 at 18:38| Comment(0) | 日記
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