長崎の平和祈念像で有名な北村西望氏の制作。1983年の「中国人殉教者慰霊塔」に「悲しみは国境を越えて、ここに眠る中国人殉教者564柱のみ霊は第二次世界大戦末期三池炭鉱で強制連行に就役せしめられた犠牲者であります。当時『兎狩り作戦』と称したこの事件はその名の如く…非人道的な事件でした」と慰霊と謝罪をされた。
★先の慰霊碑の左右には中国紅十字会(赤十字社)が寄贈した狛犬二体が護っている。『兎狩り作戦』の非道さを二度と繰り返させないための守護神のようだ。「無辜の住民、無力な非戦闘員をまるで兎を狩るが如く強制連行した非人道的な事件でした。彼らは生木を裂かれる思いで肉親たちと別れて来ました」と、強制連行を告発する。
★「併も虐待、拷問、事故等によって現場で惨死した564名、生きて母国に帰還できなかった無念の思いやまさに断腸の思いであったろうと、同情の泪を禁ずることができません。私たちは戦争の名においてこのような悲惨な事件の加害者になったことを反省せずにいられません。しかも一度犯した罪は取り返しがつきません」と続く。
★「あなた方の痛恨極まりない悲しみの声が聞こえてくるようであります。しかし私たちはなす術を知りません。唯々泪するばかりです。人間の悲しみには国境はないというのに、国境が人間を悲しみの渕に突き落とすとは何たる不条理でありましょうか」で、国境がなければと、ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞を思い浮かべました。
★「私たちは今こそ過去の過ちを繰り返さない為に、あなた方のみ霊の前に永久不戦の誓いを捧げずにいられません。み霊よ、もって照鑑を垂れ給わんことを。昭和58年12月18日 願主深浦隆二」と、刻まれている。この「日中不戦の誓い」は、日本国憲法第9条そのもの。お隣の国ときな臭い現在こそ、噛み締めるべき誓いだ。
★今から9年前の2005年8月6日(土)に知覧特攻平和会館で祈りを捧げていた。そこには鹿児島沖から引き揚げられたままの零戦52型丙の残骸が、展示されていた。復元することなく海から浮かび上がってきた亡霊のような姿に奈落のショックを受けた。知覧が醸す武家屋敷の佇まいに不釣り合いな零戦が違和感を背負わせていた。
★まるで「武士道」が<特攻精神>のように喧伝され、教育され、若者たちが志願というよりは強制的に沖縄決戦のために海の藻屑と消え去った。「聖戦」貫徹を主張した超国家主義者のひとり宇垣中将は「なんじらは死ぬ。なんじらは皆、国土のために死ぬ。われもまた死ぬなり」[皆死ね、みな死ね、國の為俺も死ぬ]と、追い詰めた。
★ある特攻隊員の心許せる女性は、絵葉書に「自分の日直には…兵隊さん方が戦地で御苦労なさっておられる話等をきかせつつ、日々の務めにはげんでおります。貴君には空の荒鷲として御活躍される日々御期待しておられることと存じます。お身体に気をつけて。さよなら。昭和19年2月4日」と、野辺の『忘れな草』に記した。(岳 重人)
2014(平成26)年1月16日
「藪入り」の日に
2014年01月28日
「九州の不戦の誓い」に想う……『国護り人』からのメッセージ(39)
posted by 岳重人 at 11:02| Comment(0)
| 日記
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