2014年01月31日

「夢二・自警団の暴走」に想う……『国護り人』からのメッセージ(43)

「最初の…流言の『源』がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、若しもそれを次から次と取次ぐべき媒質が存在しなければ『伝播』は起こらない。随って所謂流言が流言とし得ないで、其場限りに立ち消えになってしまうことも明白である」。大災害の中で防波堤になるべき市民が「媒質」になる恐ろしさを分析した。

★9月20日(木)付の『東京災難画信』は衝撃的だ。「災害の翌日に見た被服廠は實に死體の海だった。戦争の為めに戦場で死んだ人達は、おそらくこれ程悲惨ではあるまい。つひさっきまで生活してゐた者が、何の為めでもなく、死ぬ謂はれもなく死んでゆくのだ。死にたくない、どうかして生きたいと、もがき苦しんだ形」と描写する。

★「そのままに、苦患の波が、ひしめき重なってゐるのだ。…子を抱きしめて死んだ女は、哀れではあるがまだ美しい。血氣の男の死と戦った形は、とても傷ましくて、どうしても描く氣にはなれなかった。…せめて死者のために、工場の煙の来ない緑の楽土にしてほしい。柳橋に柳が沢山植てあったり、緑町が文字通り緑であったら」

★これほどの大災害から免れたのかも知れない、と夢二は最後に焼かれている死體を4日前に写生しながら記事にしたのだ。大震災から3週間後の21日(金)付には「骨拾ひ」を写生している。氣狂日和の黒い雨雲が低く垂れて死體を焼く灰色の煙がが被服廠の空地をなめる…人間の命の果敢さを感じる」と、凶暴な惨害の渦中にいる。

警視庁は9月3日、ビラを各警察署管内に配布した。「不逞鮮人妄動ノ噂盛ナルモ、右ハ多クハ事実相違シ、訛伝ニ過ギズ、鮮人ノ大部分ハ順良ナルモノニツキ濫リニ之ヲ迫害シ、暴行ヲ加ウル等無之様注意セラレ度シ」。狂った自警団には「俺だって朝鮮人のすべてが不逞鮮人とは思っちゃいないが…」と、ビラの効果は全くなかった。

★被害地では何が起きていたのか。便利な識別法が「十五円五十銭」だった。特に意味のない単なる貨幣単位にどんな効果があるのだろうか。この言葉が多くの朝鮮人の命を奪う悪魔の金額になった。こんな光景が繰り返された。汽車が停車場に着くと、剣付き銃を持った兵士が、窓から首を突っ込んで車内を検問し始めた。「おい、貴様」

★「ヂュウゴエン、ゴヂッセン」は「チュウゴエン、コチュッセン」と発音するのだ。したがって先のように発音できないのは朝鮮人とされたのだ。

★自警団が軍人たちを真似て街の角々で検問をやっていた。「大人たちまでが巡査の眞似や軍人の眞似をして好い氣分になって」と、夢二が9月19日付「自警団遊び」は、あの時の大人たちが朝鮮人虐殺をした現場を真似ていた、という恐ろしい遊びだったのだ。直ちに検束され、暴虐の限りの暴行を受け、殺害されたのは数知れない。(岳 重人)


2014(平成26)年1月20日
「大寒」の日に
posted by 岳重人 at 17:58| Comment(0) | 日記
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