2014年02月24日

「ヒトラー首相就任の日」に思う………『国護り人』のメッセージ(52)

モーツァルトの没後150年記念の1941年12月4日に、ウィーン国立歌劇場でナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスが、モーツァルトに贈るスピーチをしました。“明日、彼から人生最上の時期を与えられたウィーンの町で、彼の死の時刻に鐘が鳴り渡る時、すべての音楽の世界は彼とともにあることでしょう”とアマデウスを讃える。

★1933年1月30日にドイツ連邦首相<国防派No.1>ヒトラーはワイマール憲法を葬り去って、独裁体制を確立して思うがまま暴走していった。「1929年に始まった世界恐慌は、ヨーロッパの復興を支えていたアメリカの好況に打撃を与え、ドイツにおいてナチスの台頭をうながすことになった」とは安倍晋三・著『美しい国へ』の引用だ。

★さらに「1933年にはヒトラーがドイツの首相となり、領土拡張の野心を見せはじめる。20年代から政権の座にあったムッソリーニ率いるイタリアも、1935年にエチオピアに侵攻、1938年には、ナチスドイツがオーストリアとの合併を行った」と、安倍ボンは第二次大戦の原因とその経緯を第4章「日米同盟の構図」で語っている。

★また、第1章「わたしの原点」ではチャーチルへの讃歌を忘れない。「古今東西の政治家のなかで、わたしがもっとも決断力に富んでいたと思うのは、英国の首相チャーチルである。・・・かれには先見の明があった。軍備の強化こそがナチスを抑えられると早くから考えていた。はじめ、その主張は無視されていたが」と、決断力に心酔。

★「やがてチェンバレン内閣のヒトラーに対する『宥和政策』が、結果的にナチスドイツの侵略を招いたことがイギリス国民に理解されると、首相に選ばれる。のちに『一人の人間の精神の働きがこれほどまでに世界史の働きと一致したことはかつてなかった』と自ら語ったように、自分の判断の正しさに対する確信があった」と、絶賛だ。

★「結果、『どんな犠牲を払っても勝利する』と宣言して、連合国を勝利に導いた。チャーチルは若い頃から、すぐれた伝統と文化をもつ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、社会保障の充実を唱えてきた。安全保障と社会保障−じつはこれこそが政治家としての私のテーマなのである」と、決意を固める。

★そして結論として「確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む−あらたな決意だった」と、政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである、という原点に返り、安倍ボンは目的を再確認することに執念を燃やす。そこで<国防派No.1>安倍首相は大英帝国時代のチャーチル首相に倣って、どこへ行こうとしているのか。

★「わたしも先見の明がある。軍備の強化こそが中国を抑えられると早くから考えていた」と『強い国』を目指して国防費も倍々アップしていくつもりだろうか。有難迷惑だ。1000兆円の借金国に、そんなお金が何処にあるのか。飛行機代だけで1億円以上も超過で税金の無駄遣い。だから第一次大戦前の英独競合関係に口が滑るのだ。(岳 重人)


2014(平成26)年1月30日
「ヒトラー首相就任」の日に
posted by 岳重人 at 19:16| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: