2014年04月16日

「故マンデラ氏」に北方領土を想う………『国護り人』のメッセージ(60)

『自由憲章』「全人民の意志に基づいた民主的な国家だけが、肌の色や人種、性別、信条によって区別されることのない生得権を人民に保証することができる」はアフリカ民族会議ANCが1955年採択の人種差別の撤廃宣言。12月10日のネルソン・マンデラさんの追悼式典で、人権感覚のない我が国の首相は、どういうわけか欠席だった。

★今度はプーチン大統領の人権侵害に対して、欧米の首脳達がソチでの冬季オリンピック開会式に欠席表明しているにもかかわらず、やはり、人権感覚欠如の安倍ボンは開会式列席のため補正予算が決定後にイソイソと空の人になった。これも北方領土の返還交渉を少しでも有利に導くための首脳会談の開催だという。今回で5回目だ。

★少し北方領土問題のABCを復習しておこう。日露の長い歴史の中で複雑な経緯があるので、ここではソ連崩壊後の「東京宣言」から始めよう。現在、都知事選挙に立候補している細川護煕氏が首相時代の1993年、エリツィン大統領が来日した。細川首相との会談で、北方四島が日露間の領土問題である点を再確認する宣言を発表した。

★4年後の1997年のエリツィン・橋本首相会談では「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するように全力を尽くす」と、クラノヤルスク合意をした。翌1998年に訪日したエリツィン大統領は「平和条約が東京宣言の第二項に基づいて四島の帰属の問題を解決する内容」とすることを再確認する川奈合意をしたわけだ。

★同時にロシアに対する経済協力推進のための「橋本・エリツィン・プラン」の実施で一致した。これらの考え方は基本的にプーチン現ロシア大統領にも引き継がれるが、2000年9月の訪日時には、先の三つの東京・クラスノヤルスク・川奈合意を継承した上で、ロシアは日ソ共同宣言の二島返還を主張して一歩も譲らない状況になった。

★「平和条約の締結後の歯舞諸島、色丹島の返還を明記した1956年の日ソ共同宣言の有効性を確認する」と切り返し、日本側の「択捉、国後、色丹、歯舞の四島同時返還」の動きを牽制する交渉に……。四島は1855年の日露通商友好(和親)条約に根拠を置いている。千島列島における日露の国境が択捉島とウルップ島の中間の海峡とされた。

★安倍ボンの施政方針演説の冒頭を思い起こそう。「“何事も、達成するまでは、不可能に思えるものである”ネルソン・マンデラ元大統領の偉大な足跡は、私たちを勇気づけてくれます。誰もが不可能だと諦めかけていたアパルトヘイトの撤廃を、その不屈の精神で成し遂げました」とは、場違いな引用に失笑したのは私だけだろうか。

★さらに「『不可能だ』と諦める心を打ち捨て、わずかでも『可能性』を信じて、行動を起こす。一人ひとりが、自信を持って、それぞれの持ち場で頑張ることが、世の中を変える大きな力になると信じます」。自信過剰が怖い。私は若い頃に旅した根室港の大岩に白ペンキで殴り書きされた「北方領土を返せ!」が目に焼き付いている。(岳 重人)


2014(平成26)年2月7日
「北方領土」の日に
posted by 岳重人 at 17:20| Comment(0) | 日記
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